title: 「配慮されること」は、こんなにも心を軽くする
categories: [精神障害と社会]
「配慮されること」は、こんなにも心を軽くする
心の病気がある私にとって、言葉は時に重く、時に救いになる
精神障害があると、日々の生活のなかで「普通」のふるまいを求められることが多くあります。
「みんなやってることだから」
「甘えてるんじゃない?」
そんな言葉が、心に刺さる日もあります。
だからこそ、たったひと言の“配慮”が、驚くほど心を軽くしてくれた――
そんな経験が何度もありました。
「無理しなくていいよ」って言われたとき、涙が出そうだった
就労移行支援の初日。緊張と不安で体が動かず、顔もこわばっていました。
それでも、職員さんはこう声をかけてくれました。
「今日は見学だけでも大丈夫。無理しなくていいよ。」
その言葉で、心の張りつめていた糸がふっと緩みました。
「ここは、無理しなくても大丈夫な場所なんだ」
そう感じて、私はようやく椅子に深く座ることができました。
「それってしんどかったね」――否定されなかった体験
自分の病気のことを誰かに話すと、
「でも考えすぎじゃない?」とか「ポジティブにいこうよ」など、
励ましのつもりでも、心をすり減らす言葉を受けることがあります。
でも、ある友人は違いました。
「それってしんどかったね。よく耐えてきたね。」
そう言って、ただ静かにうなずいてくれました。
理解されるって、こういうことか。
この体験は、今でも心の中に優しく灯っています。
「あなたはあなたのままでいいよ」って、母が言ってくれた
退院してすぐの頃、自分を責めてばかりいました。
「働けていない」「病気の自分は迷惑をかけている」
そんな罪悪感に潰されそうな夜。
母が小さな声で言ったんです。
「あなたは、あなたのままでいいよ。」
それだけで、涙が止まらなくなりました。
“治ること”や“元に戻ること”を期待するのではなく、
“今ここにいる自分”をまるごと認めてくれた気がしました。
配慮とは、特別扱いじゃない。思いやりなんだ
「配慮されること」は、特別扱いではありません。
腫れ物のように扱ってほしいわけでもありません。
でも、心の病気があると、少しのことで疲れてしまうことがある。
そのことを理解してくれて、ほんの少し声かけを変えてくれるだけで、
人はここまで安心できるのだと思いました。
おわりに:「ひと言の配慮」が、明日を変えることもある
たったひと言の配慮が、
自分を責め続ける日々にストップをかけてくれることがあります。
誰かにやさしくされた記憶は、
きっと、ずっと胸の奥に残りつづける。
私も、いつか誰かにそんな言葉をかけられる人になりたいと思っています。
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