“手の震え”が恥ずかしかった――それでも今、書きたい理由
title: “手の震え”が恥ずかしかった――それでも今、書きたい理由
categories: [闘病記, 薬と副作用]
リチウムという薬との付き合い
双極性障害の治療では、リチウム(リーマス)という気分安定薬がよく使われます。
この薬は、気分の波を穏やかにする効果がある一方で、副作用として手の震えを伴うことがあります。
※参考リンク:国立精神・神経医療研究センター|気分安定薬(リチウム)について
リチウムは血中濃度によって効果も副作用も大きく変わるため、
定期的に採血を行い、用量を調整しながら服薬を続ける薬です。
副作用が「現実」となった日
服用を始めたばかりのころは、血中濃度が低く(0.4程度)副作用はほとんどありませんでした。
ところが、薬が6錠に増え、血中濃度が0.9になった頃――
はっきりと自覚する手の震えが始まりました。
- 会社での書類記入でペンが震えて字が書けない
- 宅配便のサインで手がふるえてしまう
- 銀行での書類手続きが恥ずかしい
- 飲食店で伝票に名前を書くことすら気が重い
- 役所の窓口で「この人、大丈夫?」と思われている気がした
当時私は30歳前後。
まわりには、手が震えているアラサーなんていませんでした。
だから余計に、自分の手が“異常”に見えて仕方なかったのです。
コンプレックスのかたまりだった
私は、人前で手を見せるのが怖くなりました。
いつしか、自分の手そのものがコンプレックスになっていきました。
あのころ、両手をポケットに突っ込んでいたい気持ちでした。
ちょうど、先日他界された長嶋茂雄さんが片手をポケットに入れていたように――。
「人前では、ポケットから手を出したくない」
それくらい、自分の手が恥ずかしかったのです。
けれど不思議なことに、誰からも「手が震えているね」と指摘されたことは一度もありませんでした。
他人の目ではなく、自分の“思い込み”だったのかもしれない
今思えば、あの「恥ずかしさ」は、自分自身が生み出した虚像だったのかもしれません。
指摘されたこともないのに、自分で勝手に「恥ずかしい」「迷惑だ」と思い込んでいた。
もしかしたら、「他人の目が怖い」のではなく、
「自分が自分を許せていなかった」のかもしれません。
今は、手の震えはありません
現在、私はリチウムを服用していません。
電気けいれん療法(ECT)の効果で、服薬は他の薬に切り替わり、
手の震えはなくなりました。
参考リンク:ECTとは?(国立精神・神経医療研究センター)
手が震えない今、書くことはとても快適です。
でも、だからこそ思うのです。
今も、手が震えている仲間へ
多くの双極症の仲間たちは、今もリチウムを服用しているかもしれません。
副作用としての手の震えに悩まされている人も、きっとたくさんいます。
その人たちに伝えたいことがあります。
多少の副作用があっても、気分が安定していることの方が大事。
それは「自分らしく生きるため」の、大切な選択なのです。
そして、もし周囲にそんな人がいたら、
「震え=おかしい」と見なすような社会ではなく、
「それも個性」「そういうこともあるよね」と思えるような、
成熟した社会が広がっていってほしいと、心から願っています。
おわりに:あのころ、私は「手を出すこと」が怖かった。でも今――
今、私は震えのない手で、こうしてブログを書いています。
かつては封印していた自分の想いも、ようやく言葉にすることができました。
誰にも言えなかった「手の震え」。
でも今では、それも私の人生の一部だったと思えています。
どうか、今苦しんでいる誰かにも、
「あなたの震えは、あなたの責任じゃないよ」
そう伝わりますように。
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